12月23日八尾市のプリズムホールで上映&お話というイベントがあった。ドキュメンタリー映画『わたしの葬送日記』77分制作松原惇子と弁護士の岡林絵里子さん生協オレンジコープ笠原優さんの話。映画はお葬式でかかるお金などを問題提起したもの。例えば戒名代300万?といわれたり。ばかばかしいと思っていても払ってしまうのがお葬式。泣いたり笑ったりしているが実にサバサバしているのがなんとも東京人らしい。
その後のコーナーはあまりに個人的な質問が多く、情報がないために不安だったり、困ったりしているのだろうなあと想像できた。そういう人に私の最新作の『おひとりさまを生きる〜あなたは老後をどのように暮らしますか〜』をぜひ見てもらい、多様な選択肢があることを知ってほしいと切に思う。
しかしながら、そういう年代の人たちがDVDを見る機材を持っていないことが多いとも分かった。例えばビデオに出演してくれた中のひとりはDVDプレーヤーがなく友だちに見せてもらおうとしたがあっても機材の使い方が分からない。そこで1時間半かかっAKAMEの事務所まで来てやっと見ることができた。
2009年12月23日
2009年12月16日
生活保護を申請して逮捕される日本
私もユニオンぼちぼちにできる範囲で取材中ですが
たぶん、今は相当忙しいと思われ、一回返事をもらっただけで
まだ聞けていないことがあります。
Aくんは拘留延長されて、いまだ留置所にいます。
1日も早く外に戻らなければ精神的にも肉体的にも追い詰められてしまうと心配しています。
MLからの転載です。
以下、転送・転載歓迎
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「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」
-生存権を求めたA君は無罪だ-
日時:12月23日(水) 18時開場(18時半開始)
場所:大久保地域センター(新宿区大久保2-12-7)
JR新大久保駅または都営大江戸線東新宿駅より、いずれも徒歩10分
http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/map/ookubo_toyama.htm
資料代:500円(カンパ)
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◆信じられないことが起きてしまいました。この8月、大阪府柏原市の福祉事務
所に自身の生活保護申請に赴いた「ユニオンぼちぼち」の組合員A君が、二ヶ月
半を経過した10月末に逮捕されたのです。彼は保護申請の様子をビデオカメラ
に収め、福祉事務所の職員に「生活保護申請をさせてください」と訴えました。
そのためにそれから2ヵ月半もたって彼は逮捕され、11月16日には「職務強
要」容疑で起訴されたのです。(以下参照)
http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/blog-entry-101.html
◆生活保護の現場では、ぎりぎりのところで保護を求める人々の希望を挫く「水
際作戦」が展開されてきました。申請者にわたすべき用紙をわたさない、理由を
つけては「また来てください」と追い返すなど、手続きのハードルを上げること
で申請自体を断念させようとする行為です。その結果、生活保護を受けるべき状
況にある人々の実に80%が保護から排除されています。
◆福祉に保護を求めることは権利であり、保護を求める人々の申請受け付けは、
福祉事務所の当然の職務です。また、行政機関への適切な監視は市民としての義
務ですらあります。A君は生きようとし、A君は福祉事務所が当然行なうべき職務
を記録しようとしたのであり、それはなんら犯罪ではありません。彼の行為が犯
罪なら、保護を求める行為は萎縮し、行政機関の活動はますます不可視化するで
しょう。生きる権利から多くの人が排除されている状況を直視し、A君の無罪を
勝ち取る必要があります。そのために何をすべきなのか、ともに考え行動しま
しょう。
---------- 集会内容 --------------------------------------------------
○報告
橋口昌治(関西非正規等労働組合「ユニオンぼちぼち」委員長)
○問題提起
稲葉剛(自立生活サポートセンター・もやい代表理事)/山谷労働者福祉会館活動委
員会/根来祐(フリーター全般労働組合ムービーユニオン)
○会場討議
----------------------------------------------------------------------
主催:「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」集会実行委
連絡先:フリーター全般労働組合(新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階)
電話/FAX: 03-3373-0180
Web: http://freeter-union.org/union/
Log: http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/
Mail: union(at)freeter-union.org ←(at)を@に置き換えてください
たぶん、今は相当忙しいと思われ、一回返事をもらっただけで
まだ聞けていないことがあります。
Aくんは拘留延長されて、いまだ留置所にいます。
1日も早く外に戻らなければ精神的にも肉体的にも追い詰められてしまうと心配しています。
MLからの転載です。
以下、転送・転載歓迎
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「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」
-生存権を求めたA君は無罪だ-
日時:12月23日(水) 18時開場(18時半開始)
場所:大久保地域センター(新宿区大久保2-12-7)
JR新大久保駅または都営大江戸線東新宿駅より、いずれも徒歩10分
http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/map/ookubo_toyama.htm
資料代:500円(カンパ)
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◆信じられないことが起きてしまいました。この8月、大阪府柏原市の福祉事務
所に自身の生活保護申請に赴いた「ユニオンぼちぼち」の組合員A君が、二ヶ月
半を経過した10月末に逮捕されたのです。彼は保護申請の様子をビデオカメラ
に収め、福祉事務所の職員に「生活保護申請をさせてください」と訴えました。
そのためにそれから2ヵ月半もたって彼は逮捕され、11月16日には「職務強
要」容疑で起訴されたのです。(以下参照)
http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/blog-entry-101.html
◆生活保護の現場では、ぎりぎりのところで保護を求める人々の希望を挫く「水
際作戦」が展開されてきました。申請者にわたすべき用紙をわたさない、理由を
つけては「また来てください」と追い返すなど、手続きのハードルを上げること
で申請自体を断念させようとする行為です。その結果、生活保護を受けるべき状
況にある人々の実に80%が保護から排除されています。
◆福祉に保護を求めることは権利であり、保護を求める人々の申請受け付けは、
福祉事務所の当然の職務です。また、行政機関への適切な監視は市民としての義
務ですらあります。A君は生きようとし、A君は福祉事務所が当然行なうべき職務
を記録しようとしたのであり、それはなんら犯罪ではありません。彼の行為が犯
罪なら、保護を求める行為は萎縮し、行政機関の活動はますます不可視化するで
しょう。生きる権利から多くの人が排除されている状況を直視し、A君の無罪を
勝ち取る必要があります。そのために何をすべきなのか、ともに考え行動しま
しょう。
---------- 集会内容 --------------------------------------------------
○報告
橋口昌治(関西非正規等労働組合「ユニオンぼちぼち」委員長)
○問題提起
稲葉剛(自立生活サポートセンター・もやい代表理事)/山谷労働者福祉会館活動委
員会/根来祐(フリーター全般労働組合ムービーユニオン)
○会場討議
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主催:「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」集会実行委
連絡先:フリーター全般労働組合(新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階)
電話/FAX: 03-3373-0180
Web: http://freeter-union.org/union/
Log: http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/
Mail: union(at)freeter-union.org ←(at)を@に置き換えてください
タグ:生活保護
2009年12月15日
ネット生中継ふたたび
以前日記に書いたものと同じですが、私がネット生中継に成功したものを録画したものです。
私がナレーションして、使い方を説明しています。
補足説明
ビデオカメラはUSBかFirewireでつなぎ、マイクはパソコンにつなぎます。
以前の日記ではURLから飛んでみてもらうようにしていましたが、埋め込みもできるようなので埋め込んでみました。
2009年12月12日
生活保護を申請して逮捕された人がいます
http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/blog-entry-101.html
上記URLからのコピペです。
上記も直接ごらんください。
【支援要請/転送転載歓迎】
賛同メッセージをお願いします!
関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち
2009.12.10
大阪府柏原市での生活保護申請に対するA君不当逮捕・起訴事件について
先日(11月28日)に、「A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!」というカンパ要請文書を発表させていただきましたが、以下、新しいお願いや情報を伝えさせていただきます。
@賛同メッセージのお願い
すでにメッセージをお寄せいただいておりますが、こうした声を大きくしていきたいと思います。ぜひ皆様にも、A君への応援やこの事件への思いを含めて、上記「A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!」(11月28日文書)への賛同メッセージを書いていただきたくおもいます。よろしくお願いいたします。
---以下切り取ってお使い下さい---
・「A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!」に賛同します。
・賛同団体・個人名(肩書きがあれば)
・公表します・公表しません
・一言メッセージなどあればお願いします
---
メッセージ送付先 hogohiwoageroあっとyahoo.co.jp(あっとを@に変えてお使い下さい)
Aカンパのお願い
A君の救援活動と無罪を勝ち取るための法廷闘争にカンパをいただき、本当にありがとうございます。しかし、弁護士費用などのために多くのお金を集めなければなりません。まだかなり不足しております。
ぜひともカンパをお願いいたします。
【カンパ振込先】
郵便振替 00900-8-263985 加入者名 ユニオンぼちぼち
(通信欄に「A君」と記して下さい。振り込みではなく組合員に直接渡していただいても構いません)
B不当勾留への抗議のハガキ・電話
A君は、10月27日に逮捕されて以来、23日間不当に勾留され、されに起訴後も釈放されずに勾留され続けています。保釈請求をしましたが、翌日に直ちに却下されています。却下の理由は@証拠隠滅の恐れ、A証人を脅迫する恐れ、B逃亡の恐れなどの一般論で、勾留をいたずらに引き延ばすこと自体が人権侵害です。
Aさんの即時釈放を求めて、不当勾留への抗議のハガキ郵送、電話をお願いします。
抗議ハガキ送付先
〒590-8511 大阪府 堺市堺区 南瓦町 2−28
大阪地方裁判所 堺支部 刑事5係 高橋貞幹様
電話 072-223-7001
「柏原市福祉事務所に対する職務強要で起訴されているA君の即時釈放を求めます。いつまでも長期間にわたって身柄拘束している状態は不当です。」
C柏原市という市名の公表
これまで、A君が生活保護申請した市名を公表していませんでしたが、今後は、大阪府柏原市の福祉事務所ということを明らかにしていくことになりました。A君のプライバシーに配慮しつつも、必要な情報として公表します。
【現在いただいているメッセージ】
■赤石千衣子さん(反貧困ネットワーク)
「柏原市の福祉事務所に生活保護申請に行ったA君が逮捕されるという事件を知り、驚きと危惧を感じています。生活保護を申請する際に書類の不備で追い返されたり、他の部署にまわされたり、説明だけで終わったりという、いわゆる「水際作戦」がまんえんしてきました。私もシングルマザーや女性が生活保護を申請するときに同行して体験してきました。
密室の中で、申請する権利が奪われている状況があります。それを超え、生活保護法の趣旨と憲法25条を生かすために、生活保護については同行申請や窓口での記録が行われています。今回の逮捕と支援団体への捜索について、詳しい状況はわかりませんが、こうした、生存権を守ろうとするために同行申請や記録が行われていることに対する抑止として、行ったのだとすれば、許してはなりません。
生活保護を申請する、人間としての権利が行使できなくなることに危惧を感じます。」
■雨宮処凛さん(作家・反貧困ネットワーク副代表)
「生活保護の水際作戦に、私たちはずっと苦しめられてきた。そして実際に多くの餓死事件や自殺事件が起こってきた。最後の最後のセーフティネットと言える生活保護の窓口で、「生きる」ために必死に自分を守ろうとするのは当然のことで、それで逮捕されてしまう社会とは、一体どういうものなのだろう。
「貧しき者は罰する」ような国は、すべての人にとって生きづらい国だ。
多くの人に声を上げてほしい。」
■生田武志さん(野宿者ネットワーク代表)
「生活保護申請の支援をしばしば行なっているわれわれにとって、この事件は見過ごすことができません。生活保護を申請しても、福祉事務所は「住所がない人は生活保護は受けられない」あるいは「50代ならまだ働きなさい」となどと言って申請者を違法に追い返し続けていました。こうした水際作戦がいまでも続いていることをわれわれは身をもって知っています。役所内で違法な行為が続いている中、生活保護の申請者が権利防衛のために記録をとったことがなぜ「違法」になるのか。違法行為を続けてきた福祉事務所こそが二重に犯罪を生み出しているのではないか。
A君の即時釈放を求めます。」
■小野俊彦さん(フリーターユニオン福岡執行委員)
「公務員の公務を記録するのが「恐喝」で、生活保護費の支給を求めるのが「強要」か。マスコミは基本的にはこれを無視するか警察権力の発表垂れ流し。新政権は格差社会問題に取り組み中というわけだ。反吐が出るわ!鳩に豆鉄砲顔の二世政治家が親から九億円もらったのと、生存権が警察によって破壊されていることのどっちが大問題が考えろ馬鹿野郎!私はただこの大地の上で生きる仲間たちとともにある。A君とぼちぼちを断固支持する。」
■河添誠さん(首都圏青年ユニオン書記長)
「今回の件についての詳細を聞いているわけではありませんが、私の知る限りの情報でも、警察が2ヵ月も経過してから逮捕をおこなっており、しかも、逮捕された方の所属する労働組合の事務所の家宅捜索をおこなっているということはきわめて異常だと考えます。この程度のことで逮捕・家宅捜索をする警察は横暴であるし、許すことはできません。
生活に困窮した人が声をあげることは当然の権利です。その最低限の権利を蹂躙する警察に抗議します。」
−−−
A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!
関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち
2009.12.10修正版
「生活保護の申請をさせて下さい!」と泣く泣くカメラを手にしたA君を逮捕・起訴するなんてあんまりじゃないか!
A君の救援活動と無罪を勝ち取るための法廷闘争へのカンパをどうか宜しくお願いします!
10月27日朝、組合員であるA君は、いきなりやってきた大阪府警によって家宅捜索をされ、職務強要罪(※)で令状逮捕されました。29日に送検、勾留延長もされ11月16日に起訴されてしまいました。
A君は柏原市福祉事務所から生活保護を受給していました。結果的に受給は出来ていたものの申請にあたっては大変な困難が伴った末の保護決定でした。
今年2月、ユニオンぼちぼちは世界的な金融危機以降悪化する雇用情勢の変化に伴い、生活保護の取得の仕方を学ぶための学習会を開催しました。全国各地のユニオンの共通の課題として浮上してきた問題だと思いますが、労働にまつわる相談の解決の前にまずは生活の安定が必要であり、そのための生活保護申請のノウハウを組合員間で学習しようという試みです。
勤務先で散々社長に罵られた挙句に不当解雇に合い、組合に相談にやってきたことがA君と組合との出会いでした。A君は労働法などを一生懸命勉強し、自分が争議の中心になって会社との交渉を行ってきました。しかし生活面は安定したものと言える状態にはなく、生活保護を申請することになりました。
ユニオンぼちぼちは、生活保護の申請時における「水際作戦」といわれる福祉事務所の対応が問題だと考えてきました。水際作戦とは、福祉事務所へ相談に訪れた人々に対し、申請用紙を渡すまえに職員が理由をつけて追い返すことにより、保護の件数を予め抑制しようという手法です。なんとか申請をして保護を受給できたとしても福祉事務所からの執拗な「指導」により保護打ち切りに合い、保護基準以下の生活を再び強いられていく人が少なくありません。北九州市においては生活保護を打ち切られた男性が「おにぎりが食べたい」と書き置きを残して餓死するなど、全国で痛ましい事件が続発しています。日弁連によると、本来なら生活保護制度を利用できる経済状態にある人々に対しての実際の支給率はわずか9〜19・7%
ということです。その大きな要因として、福祉事務所による申請への違法な拒否行為が挙げられています。A君の保護申請は、こうした状況の中で行われたものでした。
本来、困った人のために相談にのり、サポートするのが仕事であるはずの柏原市福祉事務所の対応はとても冷たいものでした。そのことにA君は不安を募らせていきました。そして残念ながら、当初の保護申請は却下されてしまいました。困ったA君は再度申請を行おうとしましたが、福祉事務所は素直に取り合ってはくれません。やむにやまれず自分の部屋からビデオカメラを持ってきて、福祉事務所の職員に訴えました。「生活保護の申請をさせて下さい!」
2ヵ月半後、この時の行為が職務強要罪の容疑にあたるとされ、A君は逮捕されました。
しかし組合員が一緒に柏原市福祉事務所に話に行くと保護が支給されることが決まり、逮捕までの2ヵ月半の間A君は無事に保護生活を送っていました。逮捕の2日後、ユニオンぼちぼちの大阪事務所が家宅捜索されました。念のため付け加えておきますと、生活保護を受給する資格がないのに恐喝して違法に受給をしたという容疑ではありません。その証拠に現在も保護は廃止(取り消し)ではなく、逮捕・勾留による停止という状態になっています。職員の冷酷な対応を受け、やむにやまれずカメラを回しながら訴えたことが容疑とされているのです。その後、その映像が公開さたことはありません。
勉強熱心なA君は逮捕前、生活保護を抜け出すために国の新しく始めた職業訓練制度を使い訓練学校に通い始めていました。入学のための選考試験は簡単なものではなく、時には落ち込むこともありました。しかし何度かの不合格を乗り越え、ようやく入学することが叶ったとき、私たちは手を取り合って喜んだものです。資格取得を目指して学校に通うことはA君にとって生きる張り合いになっていました。身近で様子を見聞きしてきた私たちは、その生活がとても大切なものであるということを感じていました。しかし、ようやく安定して学校生活に通えるようになった矢先に、突然逮捕されてしまったのです。A君は無実です。逮捕・起訴・勾留によって学校生活もメチャクチャにされてしまいました。このままではA君は出席不
足による退学処分になってしまいます。
私たちはA君の即時釈放を求めています。
そして裁判では必ずA君の無罪を勝ち取らなければなりません。
また、この事件で有罪の判例を出させてしまったら、労働運動や社会運動においてビデオカメラを使うこと自体が抑制される恐れがあり、到底容認できるものではありません。
心を寄せてくださる皆様には、未曾有の失業の嵐のなか大変心苦しい限りではございますが、この闘いへのカンパを寄せて頂くようお願い致します。
※職務強要罪とは、公務員に対して、「ある処分をさせる目的」、「ある処分をさせない目的」や「公務員の職を辞させる目的」のいずれかをもって、暴行または脅迫を加えるというもので、「3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金」という重い罪です。私たちはA君の言動が犯罪にあたるという見解を容認できません。
上記URLからのコピペです。
上記も直接ごらんください。
【支援要請/転送転載歓迎】
賛同メッセージをお願いします!
関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち
2009.12.10
大阪府柏原市での生活保護申請に対するA君不当逮捕・起訴事件について
先日(11月28日)に、「A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!」というカンパ要請文書を発表させていただきましたが、以下、新しいお願いや情報を伝えさせていただきます。
@賛同メッセージのお願い
すでにメッセージをお寄せいただいておりますが、こうした声を大きくしていきたいと思います。ぜひ皆様にも、A君への応援やこの事件への思いを含めて、上記「A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!」(11月28日文書)への賛同メッセージを書いていただきたくおもいます。よろしくお願いいたします。
---以下切り取ってお使い下さい---
・「A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!」に賛同します。
・賛同団体・個人名(肩書きがあれば)
・公表します・公表しません
・一言メッセージなどあればお願いします
---
メッセージ送付先 hogohiwoageroあっとyahoo.co.jp(あっとを@に変えてお使い下さい)
Aカンパのお願い
A君の救援活動と無罪を勝ち取るための法廷闘争にカンパをいただき、本当にありがとうございます。しかし、弁護士費用などのために多くのお金を集めなければなりません。まだかなり不足しております。
ぜひともカンパをお願いいたします。
【カンパ振込先】
郵便振替 00900-8-263985 加入者名 ユニオンぼちぼち
(通信欄に「A君」と記して下さい。振り込みではなく組合員に直接渡していただいても構いません)
B不当勾留への抗議のハガキ・電話
A君は、10月27日に逮捕されて以来、23日間不当に勾留され、されに起訴後も釈放されずに勾留され続けています。保釈請求をしましたが、翌日に直ちに却下されています。却下の理由は@証拠隠滅の恐れ、A証人を脅迫する恐れ、B逃亡の恐れなどの一般論で、勾留をいたずらに引き延ばすこと自体が人権侵害です。
Aさんの即時釈放を求めて、不当勾留への抗議のハガキ郵送、電話をお願いします。
抗議ハガキ送付先
〒590-8511 大阪府 堺市堺区 南瓦町 2−28
大阪地方裁判所 堺支部 刑事5係 高橋貞幹様
電話 072-223-7001
「柏原市福祉事務所に対する職務強要で起訴されているA君の即時釈放を求めます。いつまでも長期間にわたって身柄拘束している状態は不当です。」
C柏原市という市名の公表
これまで、A君が生活保護申請した市名を公表していませんでしたが、今後は、大阪府柏原市の福祉事務所ということを明らかにしていくことになりました。A君のプライバシーに配慮しつつも、必要な情報として公表します。
【現在いただいているメッセージ】
■赤石千衣子さん(反貧困ネットワーク)
「柏原市の福祉事務所に生活保護申請に行ったA君が逮捕されるという事件を知り、驚きと危惧を感じています。生活保護を申請する際に書類の不備で追い返されたり、他の部署にまわされたり、説明だけで終わったりという、いわゆる「水際作戦」がまんえんしてきました。私もシングルマザーや女性が生活保護を申請するときに同行して体験してきました。
密室の中で、申請する権利が奪われている状況があります。それを超え、生活保護法の趣旨と憲法25条を生かすために、生活保護については同行申請や窓口での記録が行われています。今回の逮捕と支援団体への捜索について、詳しい状況はわかりませんが、こうした、生存権を守ろうとするために同行申請や記録が行われていることに対する抑止として、行ったのだとすれば、許してはなりません。
生活保護を申請する、人間としての権利が行使できなくなることに危惧を感じます。」
■雨宮処凛さん(作家・反貧困ネットワーク副代表)
「生活保護の水際作戦に、私たちはずっと苦しめられてきた。そして実際に多くの餓死事件や自殺事件が起こってきた。最後の最後のセーフティネットと言える生活保護の窓口で、「生きる」ために必死に自分を守ろうとするのは当然のことで、それで逮捕されてしまう社会とは、一体どういうものなのだろう。
「貧しき者は罰する」ような国は、すべての人にとって生きづらい国だ。
多くの人に声を上げてほしい。」
■生田武志さん(野宿者ネットワーク代表)
「生活保護申請の支援をしばしば行なっているわれわれにとって、この事件は見過ごすことができません。生活保護を申請しても、福祉事務所は「住所がない人は生活保護は受けられない」あるいは「50代ならまだ働きなさい」となどと言って申請者を違法に追い返し続けていました。こうした水際作戦がいまでも続いていることをわれわれは身をもって知っています。役所内で違法な行為が続いている中、生活保護の申請者が権利防衛のために記録をとったことがなぜ「違法」になるのか。違法行為を続けてきた福祉事務所こそが二重に犯罪を生み出しているのではないか。
A君の即時釈放を求めます。」
■小野俊彦さん(フリーターユニオン福岡執行委員)
「公務員の公務を記録するのが「恐喝」で、生活保護費の支給を求めるのが「強要」か。マスコミは基本的にはこれを無視するか警察権力の発表垂れ流し。新政権は格差社会問題に取り組み中というわけだ。反吐が出るわ!鳩に豆鉄砲顔の二世政治家が親から九億円もらったのと、生存権が警察によって破壊されていることのどっちが大問題が考えろ馬鹿野郎!私はただこの大地の上で生きる仲間たちとともにある。A君とぼちぼちを断固支持する。」
■河添誠さん(首都圏青年ユニオン書記長)
「今回の件についての詳細を聞いているわけではありませんが、私の知る限りの情報でも、警察が2ヵ月も経過してから逮捕をおこなっており、しかも、逮捕された方の所属する労働組合の事務所の家宅捜索をおこなっているということはきわめて異常だと考えます。この程度のことで逮捕・家宅捜索をする警察は横暴であるし、許すことはできません。
生活に困窮した人が声をあげることは当然の権利です。その最低限の権利を蹂躙する警察に抗議します。」
−−−
A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!
関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち
2009.12.10修正版
「生活保護の申請をさせて下さい!」と泣く泣くカメラを手にしたA君を逮捕・起訴するなんてあんまりじゃないか!
A君の救援活動と無罪を勝ち取るための法廷闘争へのカンパをどうか宜しくお願いします!
10月27日朝、組合員であるA君は、いきなりやってきた大阪府警によって家宅捜索をされ、職務強要罪(※)で令状逮捕されました。29日に送検、勾留延長もされ11月16日に起訴されてしまいました。
A君は柏原市福祉事務所から生活保護を受給していました。結果的に受給は出来ていたものの申請にあたっては大変な困難が伴った末の保護決定でした。
今年2月、ユニオンぼちぼちは世界的な金融危機以降悪化する雇用情勢の変化に伴い、生活保護の取得の仕方を学ぶための学習会を開催しました。全国各地のユニオンの共通の課題として浮上してきた問題だと思いますが、労働にまつわる相談の解決の前にまずは生活の安定が必要であり、そのための生活保護申請のノウハウを組合員間で学習しようという試みです。
勤務先で散々社長に罵られた挙句に不当解雇に合い、組合に相談にやってきたことがA君と組合との出会いでした。A君は労働法などを一生懸命勉強し、自分が争議の中心になって会社との交渉を行ってきました。しかし生活面は安定したものと言える状態にはなく、生活保護を申請することになりました。
ユニオンぼちぼちは、生活保護の申請時における「水際作戦」といわれる福祉事務所の対応が問題だと考えてきました。水際作戦とは、福祉事務所へ相談に訪れた人々に対し、申請用紙を渡すまえに職員が理由をつけて追い返すことにより、保護の件数を予め抑制しようという手法です。なんとか申請をして保護を受給できたとしても福祉事務所からの執拗な「指導」により保護打ち切りに合い、保護基準以下の生活を再び強いられていく人が少なくありません。北九州市においては生活保護を打ち切られた男性が「おにぎりが食べたい」と書き置きを残して餓死するなど、全国で痛ましい事件が続発しています。日弁連によると、本来なら生活保護制度を利用できる経済状態にある人々に対しての実際の支給率はわずか9〜19・7%
ということです。その大きな要因として、福祉事務所による申請への違法な拒否行為が挙げられています。A君の保護申請は、こうした状況の中で行われたものでした。
本来、困った人のために相談にのり、サポートするのが仕事であるはずの柏原市福祉事務所の対応はとても冷たいものでした。そのことにA君は不安を募らせていきました。そして残念ながら、当初の保護申請は却下されてしまいました。困ったA君は再度申請を行おうとしましたが、福祉事務所は素直に取り合ってはくれません。やむにやまれず自分の部屋からビデオカメラを持ってきて、福祉事務所の職員に訴えました。「生活保護の申請をさせて下さい!」
2ヵ月半後、この時の行為が職務強要罪の容疑にあたるとされ、A君は逮捕されました。
しかし組合員が一緒に柏原市福祉事務所に話に行くと保護が支給されることが決まり、逮捕までの2ヵ月半の間A君は無事に保護生活を送っていました。逮捕の2日後、ユニオンぼちぼちの大阪事務所が家宅捜索されました。念のため付け加えておきますと、生活保護を受給する資格がないのに恐喝して違法に受給をしたという容疑ではありません。その証拠に現在も保護は廃止(取り消し)ではなく、逮捕・勾留による停止という状態になっています。職員の冷酷な対応を受け、やむにやまれずカメラを回しながら訴えたことが容疑とされているのです。その後、その映像が公開さたことはありません。
勉強熱心なA君は逮捕前、生活保護を抜け出すために国の新しく始めた職業訓練制度を使い訓練学校に通い始めていました。入学のための選考試験は簡単なものではなく、時には落ち込むこともありました。しかし何度かの不合格を乗り越え、ようやく入学することが叶ったとき、私たちは手を取り合って喜んだものです。資格取得を目指して学校に通うことはA君にとって生きる張り合いになっていました。身近で様子を見聞きしてきた私たちは、その生活がとても大切なものであるということを感じていました。しかし、ようやく安定して学校生活に通えるようになった矢先に、突然逮捕されてしまったのです。A君は無実です。逮捕・起訴・勾留によって学校生活もメチャクチャにされてしまいました。このままではA君は出席不
足による退学処分になってしまいます。
私たちはA君の即時釈放を求めています。
そして裁判では必ずA君の無罪を勝ち取らなければなりません。
また、この事件で有罪の判例を出させてしまったら、労働運動や社会運動においてビデオカメラを使うこと自体が抑制される恐れがあり、到底容認できるものではありません。
心を寄せてくださる皆様には、未曾有の失業の嵐のなか大変心苦しい限りではございますが、この闘いへのカンパを寄せて頂くようお願い致します。
※職務強要罪とは、公務員に対して、「ある処分をさせる目的」、「ある処分をさせない目的」や「公務員の職を辞させる目的」のいずれかをもって、暴行または脅迫を加えるというもので、「3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金」という重い罪です。私たちはA君の言動が犯罪にあたるという見解を容認できません。
2009年12月11日
オバマ大統領ノーベル平和賞受賞演説
米大統領演説全文(1)
オバマ米大統領が10日オスロで行ったノーベル平和賞の受賞演説全文は以下の通り。
陛下、殿下、ノルウェー・ノーベル賞委員会の皆さま、米国と世界の皆さん。
私はこの栄誉を、深い感謝とともに謹んでお受けする。この賞はわれわれの大いなる志―この世が残酷さと困難に満ちていても、われわれは単なる運命の囚人ではない、ということを物語る。われわれの行動は重要であり、歴史を正義の方向に向けることができる。
(私にノーベル平和賞を授与するという)あなた方の寛大な判断が巻き起こした、大変な論争を見過ごすわけにはいかない。私が世界の舞台で仕事を終えたわけではなく、緒に就いたばかりであることも、その理由だろう。この賞を受けた歴史上の巨人たち―シュバイツァー(医師)や、キング(牧師)、マーシャル(元米国務長官)、そしてマンデラ(元南アフリカ大統領)―らと比べれば、私が成し遂げたことはわずかだ。そして世界には、正義を追い求めて投獄され、暴行を受けている男女が存在する。
人々の苦痛を取り除くため人道団体で尽力している方々。勇気ある思いやりに満ちた行動で、最も冷笑的な相手をも鼓舞する何百万人もの名もなき人々。これらのあるいは著名な、あるいはほとんど無名の男女の方が、私よりもよほどこの栄誉にふさわしいという指摘に反論することはできない。
私の受賞をめぐる最大の問題は、私が二つの戦争の最中にある国の軍最高司令官だという事実だろう。戦争の一つは終わりに近づいている。もう一つは米国が求めなかった戦争、さらなる攻撃から私たちとすべての国々を守るために、われわれがノルウェーを含む42カ国とともに戦う戦争だ。
われわれは今でも戦争を遂行中だ。私は米国の数多くの若者を遠い地の戦闘に送り込むことに責任を負う立場にある。そのうち何人かは誰かを殺し、何人かは命を落とすだろう。私は、武力紛争による犠牲について鋭敏な感覚を持ってここに来た。戦争と平和の関係と、戦争を平和に置き換える努力についての難問を抱えている。
これらの課題は新しいものではない。戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった。その道義性が疑われたことはなかった。部族間の、そして文明間の力の追求と相違の解決手段として、干ばつや疫病のように現実にあるものだった。
時を経て、集団間の暴力を規制する手段として法律が登場すると、哲学者、聖職者、政治家が戦争の破壊的な力を制御しようとし、そこで「大義のある戦争」という概念が登場した。それは、戦争は自己防衛の最終手段として、適正な武力により、可能な限り非戦闘員は犠牲にしないという条件に合致する場合のみ正当化されるというものであった。
歴史上、「大義のある戦争」という概念はほとんど実現していない。人類が殺し合う方法を新たに考え出す能力を無尽蔵に有することは証明済みだ。そして外見の違う人々、異なった神を信仰する人々に対し無慈悲にその能力を行使した。
米大統領演説全文(2)
軍隊間の戦争は国家間の戦争へと発展、全面戦争では、戦闘員と一般市民の区別が不鮮明なものになった。わずか30年の間にそのような殺りくが2度この大陸で行われた。第2次世界大戦は、第三帝国(ナチス・ドイツ)と枢軸国を打ち負かすというこの上ない大義があった。しかしこの戦争では、非戦闘員の死者数が兵士の死者数を上回ったのだ。
このような破壊を受け、さらに核兵器時代の到来もあり、勝者にとっても敗者にとっても、あらたな世界戦争を予防する仕組みが必要なことが明確になった。だからこそ、ノーベル平和賞を受賞したウッドロー・ウィルソン元大統領が提唱した国際連盟を米上院が拒否してから四半世紀、米国は平和を守る構想を打ち立てる上で世界を主導した。マーシャルプラン、国際連合、戦争抑止メカニズム、人権擁護の条約、虐殺の予防、最も危険な武器の規制がそれだ。
さまざまな方法で、こうした努力は成功を収めてきた。もちろん、恐るべき戦争は発生し、残虐行為も起きてきた。しかし、第3次大戦は発生していない。冷戦は、歓喜に沸く群衆が壁を破壊することで終結した。商業は世界の大部分をつなぎ合わせてきた。数十億人が貧困から脱した。自由、民族自決、平等、法の支配といった理想は、もたもたしながらも前進してきた。われわれは先人たちの不屈の精神と先見の明の継承者であり、これは米国が真に誇れる遺産である。
21世紀に入り10年、古い構造は、新しい脅威により崩れつつある。世界はもはや二大核超大国間の戦争の脅威におびえることはないだろうが、核拡散は破滅への危険を増しているだろう。テロは長い間、戦術だった。しかし現代のテクノロジーは、激しい憎悪にかられる少数の人間によって、ぞっとするような大きな規模で無実の人たちを殺害することを可能にする。
さらに、国家間の戦争は、次第に国内での戦争に取って代わられつつある。民族間や宗派間の衝突の激化、分離運動の増加、反政府勢力、失敗国家は市民を終わりの見えない混沌(こんとん)に陥れている。現代の戦争では、兵士よりも市民により多くの犠牲が出ている。将来の衝突の種がつくられ、経済は破壊され、市民生活はずたずたにされ、難民は増え、子供に傷あとを残す。
私は今日、戦争をめぐる問題の絶対的な解決策を携えてはいない。私が認識していることは、こうした難題に立ち向かうには同じ考え方、懸命の作業、数十年前に大胆に行動した男性、女性を含むすべての人たちの粘り強さが求められる。さらに、大義ある戦争の概念と平和の必要性について新思考が求められるだろう。
米大統領演説全文(3)
われわれが生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできないという厳しい真実を知ることから始めなければならない。国家が、単独あるいは他国との協力で武力を行使する場合、必要性からだけでなく道徳的に正当化できるかどうかを判断するときがあるだろう。
私はこの声明に、マーチン・ルーサー・キングが何年も前に、この同じ式典で述べた思いを込めたい。「暴力は決して永続的な平和をもたらさない。社会的な問題を何も解決せず、もっと複雑な問題を新たに作り出すだけである」。キングのライフワークを引き継ぎここに立つものとして、私は非暴力の道徳的な力を信じる証言者だ。ガンジーとキングの信条と人生において、弱々しく、消極的で、ナイーブなものは何もないことを私は知っている。
しかし国民を守り保護することを誓った国家のトップとして、彼らの例だけに導かれるわけにはいかない。私は現実の世界に対峙(たいじ)し、米国民に向けられた脅威の前で手をこまねくわけにはいかない。誤解のないようにいえば、世界に悪は存在する。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられない。時に武力が必要であるということは、皮肉ではない。人間の欠陥や理性の限界という歴史を認識することだ。
私はこの点を提起したい。なぜなら今日、理由のいかんを問わず、多くの国で軍事力の行使に二つの相反する感情があるからだ。時として、そこには唯一の軍事超大国である米国への内省的な疑念が伴う。
しかし、世界は思い出さなければならない。第2次大戦後の安定をもたらしたのは国際機関や条約、宣言だけではない。いかに過ちを犯したとしても、その国民の血と力で60年以上にわたり、世界の安全保障を支えてきたのは米国なのだ。われわれの男性、女性兵士らの献身と犠牲が、ドイツから韓国までに平和と繁栄をもたらし、バルカンに民主主義を打ち立てることを可能にしたのだ。われわれは自分たちの意思に従わせるために、この重荷を背負ったわけではない。自分たちの利益のために、そうしたのだ。子や孫たちのより良い未来のために、そうしたのだ。他の国の子供や孫たちが自由と繁栄の中で生きることができれば、彼らの生活もより良いものになると信じているのだ。
そう、戦争という手段には平和を守る役割もあるのだ。ただ、この事実は、いかに正当化されようとも戦争は確実に人間に悲劇をもたらすという、もう一つの事実とともに考えられなければならない。兵士の勇気と犠牲は栄光に満ち、祖国や大義、共に戦う仲間への献身の現れでもある。しかし、戦争自体は決して輝かしいものではない。決してそんなふうに持ち上げてはならない。
両立させるのは不可能に見える二つの事実に折り合いをつけさせることも、私たちの課題なのだ。戦争は時として必要であり、人間としての感情の発露でもある。具体的には、かつてケネディ元大統領が訴えた課題に向け、私たちは努力しなければならない。彼は「人類の本性を急に変化させるのではなく、人間のつくる制度を少しずつ発展させた上で、実際的かつ達成可能な平和を目指そう」と語った。
米大統領演説全文(4)
この発展とはどんなものだろう。実際的なステップとは何だろう。
まず初めに、戦力行使について規定する基準を、強くても弱くてもすべての国々が厳守しなければならないと考える。ほかの国々の元首と同じように、自国を守るために必要であれば、私には一方的に行動する権利がある。しかしながら、基準を厳守する国々は強くなり、守らない国々は孤立し弱くなると確信している。
米中枢同時テロの後、世界は米国のもとに集い、アフガニスタンでの私たちの取り組みを支援し続けている。無分別な攻撃を恐れ、自衛の原則を認識したからだ。同じように、(イラク大統領だった)サダム・フセインがクウェートに侵攻したとき、世界は彼と対決しなければならないことを悟った。それは世界の総意であり、正当な理由のない攻撃をすればどうなるか、万人に向けた明確なメッセージとなった。
その上でだが、米国自身が規則を守らないのならば、他者に規則を守るよう迫ることはできない。規則を守らないのならば、いかに正当化しようとも、われわれの行動が独断的に映り、介入の正当性を損なうことになってしまうからだ。
これは、軍事行動の目的が自衛の範囲を超え、一つの侵略者に対する一つの国の防衛という範囲を超える際、特に重要になる。われわれは、政府による自国市民の虐殺や、一つの地域全体を暴力と苦悩に巻き込みかねない内戦をどのように防ぐかという困難な問題に直面し、そうした機会は増え続けている。
私は、バルカン諸国や、戦争に傷ついた他の地域でそうであったように、武力は人道的見地から正当化できると考えている。何もせずに手をこまねくことは良心の呵責(かしゃく)を生み、後により大きな犠牲を伴う介入が必要になる可能性がある。だからこそ、すべての責任ある国家は、平和維持において、明確な指令を受けた軍隊が果たし得る役割というものを認めなければならない。
世界の安全保障における米国の責務が消えることは決してない。ただ、脅威の拡散が進み、任務もより複雑化した世界では、米国は一国だけでは行動できない。この事実はアフガニスタンに当てはまる。テロや海賊行為に、飢えや人々の苦悩も結び付いたソマリアのような破綻(はたん)国家においてもそうだ。悲しむべき事だが、そのような状態は、不安定化している地域では、今後何年にもわたって変わることはない。
北大西洋条約機構(NATO)諸国の指導者や兵士たち、そして他の友好、同盟国は、アフガンでその能力と勇気をもってこれが事実であることを示してくれた。
しかし、多くの国で、任に当たる者たちの努力と、一般市民の抱く相反する感情との断絶がある。私は、なぜ戦争が好まれないのか理解している。だが、同時に、平和を求める信条だけでは、平和を築き上げることはできないということも分かっている。平和には責任が不可欠だ。平和には犠牲が伴う。そうだからこそ、NATOが不可欠であるのだ。そうだからこそ、われわれは国連と地域の平和維持を強化しなければならない。いくつかの国だけにこの役割を委ねたままにしてはいけないのだ。
だからこそ、われわれは国外での平和維持活動と訓練から、オスロとローマ、オタワとシドニー、ダッカやキガリへ、故郷へと戻った者たちをたたえるのだ。戦争を引き起こす者としてではなく、平和を請け負う者たちとしてたたえるのだ。
米大統領演説全文(5)
武力行使について最後に言っておきたい。戦争を始めるという難しい決定を下すのと同じように、われわれはいかにして戦うのかについても明確な考えを持たねばならない。ノーベル賞委員会は最初の平和賞を赤十字の創設者であり、ジュネーブ条約の推進役だったアンリ・デュナンに授与したことで、このことの意義を認めたのだ。
武力が必要なところでは、一定の交戦規定に縛られることに道徳的、戦略的な意味を見いだす。規定に従わない悪意ある敵に直面しようとも、戦争を行う中で米国は(規定を守る)主唱者でなければならないと信じている。これがわれわれが戦っている者たちと異なる点だ。われわれの強さの源泉なのだ。だから、私は拷問を禁止にした。グアンタナモの収容所を閉鎖するよう命じた。そして、このために米国がジュネーブ条約を順守するとの約束を再確認したのだ。われわれが戦ってまで守ろうとする、こうした理念で妥協してしまうと、自分自身を見失うことになる。平穏なときでなく困難なときこそ、ジュネーブ条約を守ることでこうした理念に対し敬意を払おう。
われわれが戦争を行うことを選択するとき、心に重くのしかかる問題について私は言及してきた。しかし、そうした悲劇的な選択を避けるための努力についてもう一度立ち戻り、公正で永続的な平和を構築する上で必要な三つの方策を説明しよう。
まず最初に、規則や法を破る国と立ち向かう際にも、暴力に代わるものをつくり出していかなければならないと、私は信じている。永続的な平和を望むなら、それは態度を改めさせるのに十分なほどに強くて、国際社会の言葉として何らかの意味をなすものでなければならない。規則を破るような政治体制には責任を負わせねばならない。制裁は実質的な効果がなければならない。非協力的な態度には圧力を強めなければならない。そうした圧力は世界が一つになって立ち上がったときにのみ、成り立つのだ。
核兵器の拡散を阻止し、核兵器のない世界を追求する取り組みが急務だ。前世紀の中ごろ、各国は(核拡散防止)条約(NPT)で結び付くことで同意した。その取り決めは明確だ。すべての国が原子力を平和利用でき、核兵器を持たない国は所有を断念する。核兵器を持つ国は軍縮に向けてまい進する。私は積極的にこの条約を支持してきた。条約は私の外交政策の要にある。そして私はメドベージェフ大統領と一緒に、米国とロシアの核備蓄を減らす作業を行っている。
また、イランや北朝鮮のような国が核不拡散体制を悪用しないよう主張することもわれわれの義務だ。国際法に敬意を払う者は、法がないがしろにされたら目を背けることはできない。自分の安全保障を心配する者は、中東や東アジアでの軍拡競争の危険性を無視することはできない。平和を追求する者は、核戦争のため各国が武装するのを何もせず傍観してはならないのだ。
米大統領演説全文(6)
同様の原則は国際法に違反し、自国の人々をむごたらしく扱う国々にも適用される。ダルフール(スーダン)の虐殺やコンゴ(旧ザイール)での組織的強姦(ごうかん)、ミャンマーの弾圧、これらは責任が問われなければならない。われわれが結束すればするほど、武力介入するか(何もせず)抑圧の共謀者となるか、われわれは選択を迫られなくなるであろう。
これは第2の点につながる。われわれが求める平和の本質についてだ。平和は目に見える紛争状態がないということだけではない。すべての人々が生まれながらに持つ人権と尊厳に基づく平和だけが、真に永続することができる。
第2次大戦後、世界人権宣言の起草者を後押ししたのはこの洞察だ。荒廃の最中、彼らは人権が守られなければ、平和は空虚な約束にすぎないと認識したのだ。
しかし、こうした言葉が無視されることはあまりにも多い。人権は西洋の原理だとか、地域の文化に合わないとか、国家の発展の一段階にあるので守れないなどと間違った考えで言い訳する国もある。米国では長い間、自らを現実主義者と称する人と、理想主義者と称する人の間で緊張関係が続いてきた。狭量な利益の追求か、自らの価値観を押しつける果てしない運動か、明確な選択をするよう提案してきた。
わたしは、こうした選択を拒む。市民が自由に話したり、好きなように礼拝したり、指導者を選んだり、何の恐れもなく集会を開いたりする権利を否定されるところでは、安定した平和は得られないと信じる。不平がたまって膿(うみ)になり、部族や宗教のアイデンティティーに対する抑圧は、暴力につながりうる。わたしたちは、その反対も真実だと知っている。欧州が自由になった時、やっと平和が訪れた。米国は民主主義に対する戦争はしていない。わたしたちの最大の親友は、市民の権利を守る政府だ。どんなに冷ややかな見方をしても、人類の思いを否定することは、米国の利益にも、世界の利益にも役立たない。
米国はさまざまな国の独特の文化や伝統に敬意を払いながらも、常に人類共通の思いの代弁者になる。(ミャンマーの民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーさんのような改革者の静かなる威厳の証人となる。暴力にさらされながらも票を投じる勇敢なジンバブエ人や、イランの通りを静かに(デモ)行進した数十万の人々の証人となる。このことは、これらの政府の指導者は、ほかの国家の力よりも、国民の思いを恐れているということを物語っている。希望と歴史はこうした運動の味方になるとはっきりと示すことが、すべての自由な人々と自由な国家の責任だ。
これも言わせてほしい。人権は、言葉で熱心に説くだけでは促進できない。時には、労を惜しまない外交と連携させなければならない。抑圧的な政権に関与すると、義憤を持った純粋なままの状態でいられなくなることは分かる。しかし、相手に手を差し伸べずに制裁を科したり、議論の余地なく非難するだけでは、現状は悪いまま進む可能性があることも分かる。抑圧的な政権は、開かれた扉という選択肢がなければ、新たな道を進めない。
米大統領演説全文(7)
文化大革命のおぞましさを考えれば、ニクソン(元米大統領)が毛沢東(中国主席)と会談したことは許し難いと思われた。だが中国が多くの市民を貧困から解放し、開かれた社会とのつながりを持つ道筋をとる助けとなったことも確かだ。
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世のポーランドとのかかわりは、カトリック教会だけでなく、ワレサ(元大統領)のような労働運動の指導者にも活動の場をつくった。レーガン(元米大統領)が軍縮に向けて努力し(ソ連の)ペレストロイカを受け入れたことは、ソ連との関係を改善しただけでなく、東欧全体の反体制派に力を与えた。
単純な公式はない。孤立させることと関与すること、圧力をかけることと励ますこと、両者の間のバランスを取るよう、最善を尽くさなければならない。そのようにして人権と尊厳は徐々に向上するのだ。
第3に、市民の権利や政治的な権利があるだけでは公正な平和とはいえない。経済的な安定と機会が保障されなければならない。なぜなら真の平和は恐怖からだけではなく、貧困からの解放でもあるからだ。
これは疑いようがないが、安全がなければ発展が根付くことはほとんどない。また、生きるのに必要な十分な食料やきれいな水、薬が手に入らなければ安全は保障されないのも真実だ。きちんとした教育を受けたり、家族を支える仕事を得たりするという子供たちの望みがかなえられないところに安全はない。希望がなければ、社会は内側から腐りかねない。
それゆえ、人々に食料をもたらす農家を支援したり、国々が子供たちを教育したり病人を世話することは単なる慈善事業ではない。このことはまた世界が団結して気候変動に立ち向かわなければならない理由でもある。もしわれわれが何もしなければ、長年にわたる紛争の原因となる干ばつや飢餓、人々の大量移動をさらに引き起こすことになるというのは科学的にほとんど争いのない事実だ。
このため、即座に力強い行動をとることを求めているのは科学者や運動家だけではない。わが国や他の国の軍幹部らも共通の安全保障が不安定な状態にあるということを理解している。
国家間の合意。強力な制度。人権の保護。開発への投資。これらすべてが、ケネディ大統領が言及した進化をもたらすのに極めて重要な要素だ。しかし、われわれがこの作業を完遂するための意志、持続力を持つためには、何かが足りない。それは、道徳的想像力の継続的拡大、すなわち、全人類が共有し、減ずることができない何かがあるという強い主張だ。
世界がだんだん小さくなるにつれて、われわれがいかに似通っているかを認識し、基本的に同じものを望んでいると理解し、自分自身や家族がある程度の幸福感や充足感を持って人生を全うする機会を望んでいると理解することは、人類にとってだんだん容易になるだろうと、皆さんは思うかもしれない。
しかし、それでも、目まいがするほどのスピードでのグローバル化、現代の文化的平準化の中でも、人々が、とても大事にしている自分ら特有のアイデンティティー、すなわち人種、部族、そして恐らく最も力強いものであろう宗教といったものの喪失を恐れることは、驚くに値しない。
いくつかの場所では、この恐怖が紛争に発展した。時には、自分たちは逆行しているのではないかと感じることもある。こうした状況は、中東でアラブ人とユダヤ人が強硬になったように見える時や、部族同士が離反した国家においてみられる。
米大統領演説全文(8)
最も危険なのは、偉大な宗教であるイスラム教を歪曲(わいきょく)し、汚し、アフガニスタンからわが国を攻撃した者によって、宗教が罪なき者の殺害を正当化するために利用されるそのやり方だ。これらの過激主義者は、神の名において殺人を犯した最初の人間ではない。十字軍による残虐行為は詳細に記録されている。
しかし、こうした者たちは、われわれに、いかなる聖戦も正しい戦争とはなり得ないことを思い出させる。もし、心から神聖な意志を実行していると信じるなら、抑制する必要などないだろう。妊娠している母親や医療関係者、さらに自らと同じ信仰を持つ人の命を容赦する理由などないはずだ。
そうしたねじ曲がった宗教の考え方は、平和の概念と両立しないだけでなく、信仰の目的とも矛盾する。なぜなら、すべての主要な宗教の中心にあるただ一つのルールは、自分たちにしてほしいと思うことを他人にも行う、ということだからだ。
こうした慈愛の法則に従うことは、常に人間としての努力やあがきの核心を占めてきた。われわれは誤りに陥りがちであり、間違いも犯す。自尊心や権力、そして時には悪がもたらす誘惑の犠牲ともなる。どんなに素晴らしい意図を抱いていても、時に自分たちの誤りを直すことに失敗することがある。
しかし人類の状態を完成させることが可能であると、信じるためにも、人間性が完全であると考える必要はない。また世界をより良くする理想に近づくために、理想化された世界に住む必要はない。(インド独立の父)ガンジーや(米公民権運動の黒人指導者)キングらの人々が実践した非暴力主義は、いかなる場合でも現実的で可能性を秘めていたわけではない。しかし彼らが唱えた愛、そして人類の進歩にかけた彼らの信念は、どんな時もわれわれの旅を導く北極星でなければならない。
なぜならもしわれわれがその信念を失い、ばかばかしい、甘いと言って退けたり、戦争や平和に関する決定を下す際に無視したりするなら、人間性の最も優れた部分、可能性にかけたわれわれの思い、そして倫理的な指針を喪失することになってしまうだろう。
キング師は何年も前にこの場で次のように語った。「私はあいまいな歴史への最終回答として絶望を受け入れることを拒否する。私はまた、人間が現在『そうである』性質が、永遠の課題である『そうであるべき』姿に近づくことを不可能にしているとの考えにはくみしない」
だから、あるべき世界に到達するよう努力しよう。われわれの心の中をかき立てる神聖な輝きの世界へと。今日、世界のどこかには、戦闘で不利になりながらも毅然と平和を守る兵士がおり、残虐な政府に対し勇気をもって行進を続ける女性がおり、極貧にあえぎながらも子供に教える時間を取り、この残酷な世界でも子供の夢が実現する余地がどこかにあると信じる母親がいる。
こうした手本を見ならおう。この世界に抑圧はいつも存在することを認めながらも正義に向かって進むこともできる。腐敗が手に負えないことを認めながらも尊厳を追求し、戦争がこれからもあると知りつつも、平和への努力を続けることができる。われわれにはそれが可能だ。なぜならそれこそが人間の進歩の物語であり、全世界の希望であり、この困難な時代にあってわれわれが地上で果たすべき仕事であるからだ。(共同)
2009/12/11 00:30 【共同通信】
オバマ米大統領が10日オスロで行ったノーベル平和賞の受賞演説全文は以下の通り。
陛下、殿下、ノルウェー・ノーベル賞委員会の皆さま、米国と世界の皆さん。
私はこの栄誉を、深い感謝とともに謹んでお受けする。この賞はわれわれの大いなる志―この世が残酷さと困難に満ちていても、われわれは単なる運命の囚人ではない、ということを物語る。われわれの行動は重要であり、歴史を正義の方向に向けることができる。
(私にノーベル平和賞を授与するという)あなた方の寛大な判断が巻き起こした、大変な論争を見過ごすわけにはいかない。私が世界の舞台で仕事を終えたわけではなく、緒に就いたばかりであることも、その理由だろう。この賞を受けた歴史上の巨人たち―シュバイツァー(医師)や、キング(牧師)、マーシャル(元米国務長官)、そしてマンデラ(元南アフリカ大統領)―らと比べれば、私が成し遂げたことはわずかだ。そして世界には、正義を追い求めて投獄され、暴行を受けている男女が存在する。
人々の苦痛を取り除くため人道団体で尽力している方々。勇気ある思いやりに満ちた行動で、最も冷笑的な相手をも鼓舞する何百万人もの名もなき人々。これらのあるいは著名な、あるいはほとんど無名の男女の方が、私よりもよほどこの栄誉にふさわしいという指摘に反論することはできない。
私の受賞をめぐる最大の問題は、私が二つの戦争の最中にある国の軍最高司令官だという事実だろう。戦争の一つは終わりに近づいている。もう一つは米国が求めなかった戦争、さらなる攻撃から私たちとすべての国々を守るために、われわれがノルウェーを含む42カ国とともに戦う戦争だ。
われわれは今でも戦争を遂行中だ。私は米国の数多くの若者を遠い地の戦闘に送り込むことに責任を負う立場にある。そのうち何人かは誰かを殺し、何人かは命を落とすだろう。私は、武力紛争による犠牲について鋭敏な感覚を持ってここに来た。戦争と平和の関係と、戦争を平和に置き換える努力についての難問を抱えている。
これらの課題は新しいものではない。戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった。その道義性が疑われたことはなかった。部族間の、そして文明間の力の追求と相違の解決手段として、干ばつや疫病のように現実にあるものだった。
時を経て、集団間の暴力を規制する手段として法律が登場すると、哲学者、聖職者、政治家が戦争の破壊的な力を制御しようとし、そこで「大義のある戦争」という概念が登場した。それは、戦争は自己防衛の最終手段として、適正な武力により、可能な限り非戦闘員は犠牲にしないという条件に合致する場合のみ正当化されるというものであった。
歴史上、「大義のある戦争」という概念はほとんど実現していない。人類が殺し合う方法を新たに考え出す能力を無尽蔵に有することは証明済みだ。そして外見の違う人々、異なった神を信仰する人々に対し無慈悲にその能力を行使した。
米大統領演説全文(2)
軍隊間の戦争は国家間の戦争へと発展、全面戦争では、戦闘員と一般市民の区別が不鮮明なものになった。わずか30年の間にそのような殺りくが2度この大陸で行われた。第2次世界大戦は、第三帝国(ナチス・ドイツ)と枢軸国を打ち負かすというこの上ない大義があった。しかしこの戦争では、非戦闘員の死者数が兵士の死者数を上回ったのだ。
このような破壊を受け、さらに核兵器時代の到来もあり、勝者にとっても敗者にとっても、あらたな世界戦争を予防する仕組みが必要なことが明確になった。だからこそ、ノーベル平和賞を受賞したウッドロー・ウィルソン元大統領が提唱した国際連盟を米上院が拒否してから四半世紀、米国は平和を守る構想を打ち立てる上で世界を主導した。マーシャルプラン、国際連合、戦争抑止メカニズム、人権擁護の条約、虐殺の予防、最も危険な武器の規制がそれだ。
さまざまな方法で、こうした努力は成功を収めてきた。もちろん、恐るべき戦争は発生し、残虐行為も起きてきた。しかし、第3次大戦は発生していない。冷戦は、歓喜に沸く群衆が壁を破壊することで終結した。商業は世界の大部分をつなぎ合わせてきた。数十億人が貧困から脱した。自由、民族自決、平等、法の支配といった理想は、もたもたしながらも前進してきた。われわれは先人たちの不屈の精神と先見の明の継承者であり、これは米国が真に誇れる遺産である。
21世紀に入り10年、古い構造は、新しい脅威により崩れつつある。世界はもはや二大核超大国間の戦争の脅威におびえることはないだろうが、核拡散は破滅への危険を増しているだろう。テロは長い間、戦術だった。しかし現代のテクノロジーは、激しい憎悪にかられる少数の人間によって、ぞっとするような大きな規模で無実の人たちを殺害することを可能にする。
さらに、国家間の戦争は、次第に国内での戦争に取って代わられつつある。民族間や宗派間の衝突の激化、分離運動の増加、反政府勢力、失敗国家は市民を終わりの見えない混沌(こんとん)に陥れている。現代の戦争では、兵士よりも市民により多くの犠牲が出ている。将来の衝突の種がつくられ、経済は破壊され、市民生活はずたずたにされ、難民は増え、子供に傷あとを残す。
私は今日、戦争をめぐる問題の絶対的な解決策を携えてはいない。私が認識していることは、こうした難題に立ち向かうには同じ考え方、懸命の作業、数十年前に大胆に行動した男性、女性を含むすべての人たちの粘り強さが求められる。さらに、大義ある戦争の概念と平和の必要性について新思考が求められるだろう。
米大統領演説全文(3)
われわれが生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできないという厳しい真実を知ることから始めなければならない。国家が、単独あるいは他国との協力で武力を行使する場合、必要性からだけでなく道徳的に正当化できるかどうかを判断するときがあるだろう。
私はこの声明に、マーチン・ルーサー・キングが何年も前に、この同じ式典で述べた思いを込めたい。「暴力は決して永続的な平和をもたらさない。社会的な問題を何も解決せず、もっと複雑な問題を新たに作り出すだけである」。キングのライフワークを引き継ぎここに立つものとして、私は非暴力の道徳的な力を信じる証言者だ。ガンジーとキングの信条と人生において、弱々しく、消極的で、ナイーブなものは何もないことを私は知っている。
しかし国民を守り保護することを誓った国家のトップとして、彼らの例だけに導かれるわけにはいかない。私は現実の世界に対峙(たいじ)し、米国民に向けられた脅威の前で手をこまねくわけにはいかない。誤解のないようにいえば、世界に悪は存在する。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられない。時に武力が必要であるということは、皮肉ではない。人間の欠陥や理性の限界という歴史を認識することだ。
私はこの点を提起したい。なぜなら今日、理由のいかんを問わず、多くの国で軍事力の行使に二つの相反する感情があるからだ。時として、そこには唯一の軍事超大国である米国への内省的な疑念が伴う。
しかし、世界は思い出さなければならない。第2次大戦後の安定をもたらしたのは国際機関や条約、宣言だけではない。いかに過ちを犯したとしても、その国民の血と力で60年以上にわたり、世界の安全保障を支えてきたのは米国なのだ。われわれの男性、女性兵士らの献身と犠牲が、ドイツから韓国までに平和と繁栄をもたらし、バルカンに民主主義を打ち立てることを可能にしたのだ。われわれは自分たちの意思に従わせるために、この重荷を背負ったわけではない。自分たちの利益のために、そうしたのだ。子や孫たちのより良い未来のために、そうしたのだ。他の国の子供や孫たちが自由と繁栄の中で生きることができれば、彼らの生活もより良いものになると信じているのだ。
そう、戦争という手段には平和を守る役割もあるのだ。ただ、この事実は、いかに正当化されようとも戦争は確実に人間に悲劇をもたらすという、もう一つの事実とともに考えられなければならない。兵士の勇気と犠牲は栄光に満ち、祖国や大義、共に戦う仲間への献身の現れでもある。しかし、戦争自体は決して輝かしいものではない。決してそんなふうに持ち上げてはならない。
両立させるのは不可能に見える二つの事実に折り合いをつけさせることも、私たちの課題なのだ。戦争は時として必要であり、人間としての感情の発露でもある。具体的には、かつてケネディ元大統領が訴えた課題に向け、私たちは努力しなければならない。彼は「人類の本性を急に変化させるのではなく、人間のつくる制度を少しずつ発展させた上で、実際的かつ達成可能な平和を目指そう」と語った。
米大統領演説全文(4)
この発展とはどんなものだろう。実際的なステップとは何だろう。
まず初めに、戦力行使について規定する基準を、強くても弱くてもすべての国々が厳守しなければならないと考える。ほかの国々の元首と同じように、自国を守るために必要であれば、私には一方的に行動する権利がある。しかしながら、基準を厳守する国々は強くなり、守らない国々は孤立し弱くなると確信している。
米中枢同時テロの後、世界は米国のもとに集い、アフガニスタンでの私たちの取り組みを支援し続けている。無分別な攻撃を恐れ、自衛の原則を認識したからだ。同じように、(イラク大統領だった)サダム・フセインがクウェートに侵攻したとき、世界は彼と対決しなければならないことを悟った。それは世界の総意であり、正当な理由のない攻撃をすればどうなるか、万人に向けた明確なメッセージとなった。
その上でだが、米国自身が規則を守らないのならば、他者に規則を守るよう迫ることはできない。規則を守らないのならば、いかに正当化しようとも、われわれの行動が独断的に映り、介入の正当性を損なうことになってしまうからだ。
これは、軍事行動の目的が自衛の範囲を超え、一つの侵略者に対する一つの国の防衛という範囲を超える際、特に重要になる。われわれは、政府による自国市民の虐殺や、一つの地域全体を暴力と苦悩に巻き込みかねない内戦をどのように防ぐかという困難な問題に直面し、そうした機会は増え続けている。
私は、バルカン諸国や、戦争に傷ついた他の地域でそうであったように、武力は人道的見地から正当化できると考えている。何もせずに手をこまねくことは良心の呵責(かしゃく)を生み、後により大きな犠牲を伴う介入が必要になる可能性がある。だからこそ、すべての責任ある国家は、平和維持において、明確な指令を受けた軍隊が果たし得る役割というものを認めなければならない。
世界の安全保障における米国の責務が消えることは決してない。ただ、脅威の拡散が進み、任務もより複雑化した世界では、米国は一国だけでは行動できない。この事実はアフガニスタンに当てはまる。テロや海賊行為に、飢えや人々の苦悩も結び付いたソマリアのような破綻(はたん)国家においてもそうだ。悲しむべき事だが、そのような状態は、不安定化している地域では、今後何年にもわたって変わることはない。
北大西洋条約機構(NATO)諸国の指導者や兵士たち、そして他の友好、同盟国は、アフガンでその能力と勇気をもってこれが事実であることを示してくれた。
しかし、多くの国で、任に当たる者たちの努力と、一般市民の抱く相反する感情との断絶がある。私は、なぜ戦争が好まれないのか理解している。だが、同時に、平和を求める信条だけでは、平和を築き上げることはできないということも分かっている。平和には責任が不可欠だ。平和には犠牲が伴う。そうだからこそ、NATOが不可欠であるのだ。そうだからこそ、われわれは国連と地域の平和維持を強化しなければならない。いくつかの国だけにこの役割を委ねたままにしてはいけないのだ。
だからこそ、われわれは国外での平和維持活動と訓練から、オスロとローマ、オタワとシドニー、ダッカやキガリへ、故郷へと戻った者たちをたたえるのだ。戦争を引き起こす者としてではなく、平和を請け負う者たちとしてたたえるのだ。
米大統領演説全文(5)
武力行使について最後に言っておきたい。戦争を始めるという難しい決定を下すのと同じように、われわれはいかにして戦うのかについても明確な考えを持たねばならない。ノーベル賞委員会は最初の平和賞を赤十字の創設者であり、ジュネーブ条約の推進役だったアンリ・デュナンに授与したことで、このことの意義を認めたのだ。
武力が必要なところでは、一定の交戦規定に縛られることに道徳的、戦略的な意味を見いだす。規定に従わない悪意ある敵に直面しようとも、戦争を行う中で米国は(規定を守る)主唱者でなければならないと信じている。これがわれわれが戦っている者たちと異なる点だ。われわれの強さの源泉なのだ。だから、私は拷問を禁止にした。グアンタナモの収容所を閉鎖するよう命じた。そして、このために米国がジュネーブ条約を順守するとの約束を再確認したのだ。われわれが戦ってまで守ろうとする、こうした理念で妥協してしまうと、自分自身を見失うことになる。平穏なときでなく困難なときこそ、ジュネーブ条約を守ることでこうした理念に対し敬意を払おう。
われわれが戦争を行うことを選択するとき、心に重くのしかかる問題について私は言及してきた。しかし、そうした悲劇的な選択を避けるための努力についてもう一度立ち戻り、公正で永続的な平和を構築する上で必要な三つの方策を説明しよう。
まず最初に、規則や法を破る国と立ち向かう際にも、暴力に代わるものをつくり出していかなければならないと、私は信じている。永続的な平和を望むなら、それは態度を改めさせるのに十分なほどに強くて、国際社会の言葉として何らかの意味をなすものでなければならない。規則を破るような政治体制には責任を負わせねばならない。制裁は実質的な効果がなければならない。非協力的な態度には圧力を強めなければならない。そうした圧力は世界が一つになって立ち上がったときにのみ、成り立つのだ。
核兵器の拡散を阻止し、核兵器のない世界を追求する取り組みが急務だ。前世紀の中ごろ、各国は(核拡散防止)条約(NPT)で結び付くことで同意した。その取り決めは明確だ。すべての国が原子力を平和利用でき、核兵器を持たない国は所有を断念する。核兵器を持つ国は軍縮に向けてまい進する。私は積極的にこの条約を支持してきた。条約は私の外交政策の要にある。そして私はメドベージェフ大統領と一緒に、米国とロシアの核備蓄を減らす作業を行っている。
また、イランや北朝鮮のような国が核不拡散体制を悪用しないよう主張することもわれわれの義務だ。国際法に敬意を払う者は、法がないがしろにされたら目を背けることはできない。自分の安全保障を心配する者は、中東や東アジアでの軍拡競争の危険性を無視することはできない。平和を追求する者は、核戦争のため各国が武装するのを何もせず傍観してはならないのだ。
米大統領演説全文(6)
同様の原則は国際法に違反し、自国の人々をむごたらしく扱う国々にも適用される。ダルフール(スーダン)の虐殺やコンゴ(旧ザイール)での組織的強姦(ごうかん)、ミャンマーの弾圧、これらは責任が問われなければならない。われわれが結束すればするほど、武力介入するか(何もせず)抑圧の共謀者となるか、われわれは選択を迫られなくなるであろう。
これは第2の点につながる。われわれが求める平和の本質についてだ。平和は目に見える紛争状態がないということだけではない。すべての人々が生まれながらに持つ人権と尊厳に基づく平和だけが、真に永続することができる。
第2次大戦後、世界人権宣言の起草者を後押ししたのはこの洞察だ。荒廃の最中、彼らは人権が守られなければ、平和は空虚な約束にすぎないと認識したのだ。
しかし、こうした言葉が無視されることはあまりにも多い。人権は西洋の原理だとか、地域の文化に合わないとか、国家の発展の一段階にあるので守れないなどと間違った考えで言い訳する国もある。米国では長い間、自らを現実主義者と称する人と、理想主義者と称する人の間で緊張関係が続いてきた。狭量な利益の追求か、自らの価値観を押しつける果てしない運動か、明確な選択をするよう提案してきた。
わたしは、こうした選択を拒む。市民が自由に話したり、好きなように礼拝したり、指導者を選んだり、何の恐れもなく集会を開いたりする権利を否定されるところでは、安定した平和は得られないと信じる。不平がたまって膿(うみ)になり、部族や宗教のアイデンティティーに対する抑圧は、暴力につながりうる。わたしたちは、その反対も真実だと知っている。欧州が自由になった時、やっと平和が訪れた。米国は民主主義に対する戦争はしていない。わたしたちの最大の親友は、市民の権利を守る政府だ。どんなに冷ややかな見方をしても、人類の思いを否定することは、米国の利益にも、世界の利益にも役立たない。
米国はさまざまな国の独特の文化や伝統に敬意を払いながらも、常に人類共通の思いの代弁者になる。(ミャンマーの民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーさんのような改革者の静かなる威厳の証人となる。暴力にさらされながらも票を投じる勇敢なジンバブエ人や、イランの通りを静かに(デモ)行進した数十万の人々の証人となる。このことは、これらの政府の指導者は、ほかの国家の力よりも、国民の思いを恐れているということを物語っている。希望と歴史はこうした運動の味方になるとはっきりと示すことが、すべての自由な人々と自由な国家の責任だ。
これも言わせてほしい。人権は、言葉で熱心に説くだけでは促進できない。時には、労を惜しまない外交と連携させなければならない。抑圧的な政権に関与すると、義憤を持った純粋なままの状態でいられなくなることは分かる。しかし、相手に手を差し伸べずに制裁を科したり、議論の余地なく非難するだけでは、現状は悪いまま進む可能性があることも分かる。抑圧的な政権は、開かれた扉という選択肢がなければ、新たな道を進めない。
米大統領演説全文(7)
文化大革命のおぞましさを考えれば、ニクソン(元米大統領)が毛沢東(中国主席)と会談したことは許し難いと思われた。だが中国が多くの市民を貧困から解放し、開かれた社会とのつながりを持つ道筋をとる助けとなったことも確かだ。
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世のポーランドとのかかわりは、カトリック教会だけでなく、ワレサ(元大統領)のような労働運動の指導者にも活動の場をつくった。レーガン(元米大統領)が軍縮に向けて努力し(ソ連の)ペレストロイカを受け入れたことは、ソ連との関係を改善しただけでなく、東欧全体の反体制派に力を与えた。
単純な公式はない。孤立させることと関与すること、圧力をかけることと励ますこと、両者の間のバランスを取るよう、最善を尽くさなければならない。そのようにして人権と尊厳は徐々に向上するのだ。
第3に、市民の権利や政治的な権利があるだけでは公正な平和とはいえない。経済的な安定と機会が保障されなければならない。なぜなら真の平和は恐怖からだけではなく、貧困からの解放でもあるからだ。
これは疑いようがないが、安全がなければ発展が根付くことはほとんどない。また、生きるのに必要な十分な食料やきれいな水、薬が手に入らなければ安全は保障されないのも真実だ。きちんとした教育を受けたり、家族を支える仕事を得たりするという子供たちの望みがかなえられないところに安全はない。希望がなければ、社会は内側から腐りかねない。
それゆえ、人々に食料をもたらす農家を支援したり、国々が子供たちを教育したり病人を世話することは単なる慈善事業ではない。このことはまた世界が団結して気候変動に立ち向かわなければならない理由でもある。もしわれわれが何もしなければ、長年にわたる紛争の原因となる干ばつや飢餓、人々の大量移動をさらに引き起こすことになるというのは科学的にほとんど争いのない事実だ。
このため、即座に力強い行動をとることを求めているのは科学者や運動家だけではない。わが国や他の国の軍幹部らも共通の安全保障が不安定な状態にあるということを理解している。
国家間の合意。強力な制度。人権の保護。開発への投資。これらすべてが、ケネディ大統領が言及した進化をもたらすのに極めて重要な要素だ。しかし、われわれがこの作業を完遂するための意志、持続力を持つためには、何かが足りない。それは、道徳的想像力の継続的拡大、すなわち、全人類が共有し、減ずることができない何かがあるという強い主張だ。
世界がだんだん小さくなるにつれて、われわれがいかに似通っているかを認識し、基本的に同じものを望んでいると理解し、自分自身や家族がある程度の幸福感や充足感を持って人生を全うする機会を望んでいると理解することは、人類にとってだんだん容易になるだろうと、皆さんは思うかもしれない。
しかし、それでも、目まいがするほどのスピードでのグローバル化、現代の文化的平準化の中でも、人々が、とても大事にしている自分ら特有のアイデンティティー、すなわち人種、部族、そして恐らく最も力強いものであろう宗教といったものの喪失を恐れることは、驚くに値しない。
いくつかの場所では、この恐怖が紛争に発展した。時には、自分たちは逆行しているのではないかと感じることもある。こうした状況は、中東でアラブ人とユダヤ人が強硬になったように見える時や、部族同士が離反した国家においてみられる。
米大統領演説全文(8)
最も危険なのは、偉大な宗教であるイスラム教を歪曲(わいきょく)し、汚し、アフガニスタンからわが国を攻撃した者によって、宗教が罪なき者の殺害を正当化するために利用されるそのやり方だ。これらの過激主義者は、神の名において殺人を犯した最初の人間ではない。十字軍による残虐行為は詳細に記録されている。
しかし、こうした者たちは、われわれに、いかなる聖戦も正しい戦争とはなり得ないことを思い出させる。もし、心から神聖な意志を実行していると信じるなら、抑制する必要などないだろう。妊娠している母親や医療関係者、さらに自らと同じ信仰を持つ人の命を容赦する理由などないはずだ。
そうしたねじ曲がった宗教の考え方は、平和の概念と両立しないだけでなく、信仰の目的とも矛盾する。なぜなら、すべての主要な宗教の中心にあるただ一つのルールは、自分たちにしてほしいと思うことを他人にも行う、ということだからだ。
こうした慈愛の法則に従うことは、常に人間としての努力やあがきの核心を占めてきた。われわれは誤りに陥りがちであり、間違いも犯す。自尊心や権力、そして時には悪がもたらす誘惑の犠牲ともなる。どんなに素晴らしい意図を抱いていても、時に自分たちの誤りを直すことに失敗することがある。
しかし人類の状態を完成させることが可能であると、信じるためにも、人間性が完全であると考える必要はない。また世界をより良くする理想に近づくために、理想化された世界に住む必要はない。(インド独立の父)ガンジーや(米公民権運動の黒人指導者)キングらの人々が実践した非暴力主義は、いかなる場合でも現実的で可能性を秘めていたわけではない。しかし彼らが唱えた愛、そして人類の進歩にかけた彼らの信念は、どんな時もわれわれの旅を導く北極星でなければならない。
なぜならもしわれわれがその信念を失い、ばかばかしい、甘いと言って退けたり、戦争や平和に関する決定を下す際に無視したりするなら、人間性の最も優れた部分、可能性にかけたわれわれの思い、そして倫理的な指針を喪失することになってしまうだろう。
キング師は何年も前にこの場で次のように語った。「私はあいまいな歴史への最終回答として絶望を受け入れることを拒否する。私はまた、人間が現在『そうである』性質が、永遠の課題である『そうであるべき』姿に近づくことを不可能にしているとの考えにはくみしない」
だから、あるべき世界に到達するよう努力しよう。われわれの心の中をかき立てる神聖な輝きの世界へと。今日、世界のどこかには、戦闘で不利になりながらも毅然と平和を守る兵士がおり、残虐な政府に対し勇気をもって行進を続ける女性がおり、極貧にあえぎながらも子供に教える時間を取り、この残酷な世界でも子供の夢が実現する余地がどこかにあると信じる母親がいる。
こうした手本を見ならおう。この世界に抑圧はいつも存在することを認めながらも正義に向かって進むこともできる。腐敗が手に負えないことを認めながらも尊厳を追求し、戦争がこれからもあると知りつつも、平和への努力を続けることができる。われわれにはそれが可能だ。なぜならそれこそが人間の進歩の物語であり、全世界の希望であり、この困難な時代にあってわれわれが地上で果たすべき仕事であるからだ。(共同)
2009/12/11 00:30 【共同通信】
2009年12月09日
どうしてネットに国境があるの?
インターネットをやっていて、こういうのみませんか?
あんまり早く消えるので、click hereをクリックする暇もないほどですよね。
日本のアニメをヨーロッパでもネットを使ってほぼ同時に放送しているというのを聞いて見てみたいと思ったのですが、エリア制限があって見られないとニュースに書いてあり「チッ」と思ったものです。
国境がないからインターネットはいいのに…。これじゃー意味ないし。
最近始めたツイッター(twitter)にも国境あるらしく、最初の写真は海外の人のつぶやきの後ろにあったリンクをクリックしたら出たのです。
iPhoneのなんからしいのですが#nevertrustというキーワードが流行ってるという情報までは出るのに、そこから先はつぶやきまでしか見られない。リンク先が見られない。どういうことやねん!
2009年12月07日
鹿児島へ行ってきました!
写真・動画付きでいきますが、トラブルにより食べ物の写真や動画のみが消えてしまいましたー! ごちそうだったのにー。
一気には無理なので、できたところから…。
写真はめっちゃ大きくなりますから、ぜひクリックして見てくださいねー。

11月28日早朝、伊丹空港で待ち合わせ〜。70周年なんですね。


あっという間です、大阪から鹿児島まで。
鹿児島空港で、東京から飛んで来た人と合流して、レンタカーで移動。
桜かんという店に行ったのですが…食べ物の写真だけないんですねー(涙)
私は700円の「かんぱちづけ丼定食」。魚のあら煮が付いて、骨まで全部食べられる。安すぎる! うますぎる!
写真がない!
その後、垂水港で、地元の友人と合流して、八木酒造へ向かう。
以下はその動画。食べ物じゃないのはあるんだよねー。
八木酒造への道がいいんですわー。下の動画をごらんくださいまし。
まだまだ続きます。これは初日です。
一気には無理なので、できたところから…。
写真はめっちゃ大きくなりますから、ぜひクリックして見てくださいねー。
11月28日早朝、伊丹空港で待ち合わせ〜。70周年なんですね。
あっという間です、大阪から鹿児島まで。
鹿児島空港で、東京から飛んで来た人と合流して、レンタカーで移動。
桜かんという店に行ったのですが…食べ物の写真だけないんですねー(涙)
私は700円の「かんぱちづけ丼定食」。魚のあら煮が付いて、骨まで全部食べられる。安すぎる! うますぎる!
写真がない!
その後、垂水港で、地元の友人と合流して、八木酒造へ向かう。
以下はその動画。食べ物じゃないのはあるんだよねー。
八木酒造への道がいいんですわー。下の動画をごらんくださいまし。
まだまだ続きます。これは初日です。
2009年12月06日
ネット生中継ができちゃった
ハロー! 英語しかないサイトで実験していたものですから(汗)
パソコンとビデオカメラをつないでネット生中継、いろいろとトラブルがあると聞いていたのですが、このUstramは簡単です。
説明では、お勧めカメラとかパソコンとはUSB接続みたいな絵が出てましたが、今回はsonyのミニDVビデオカメラの超古いやつを使い、パソコンとの接続はIEEE1394でやってみました。
何回かの試行錯誤の上やっとできましたが、まあ、簡単なほうだと思います。
下記URLで私の声によるナレーションで、簡単にではありますが使い方を説明しています。良かったら見てみてください。
http://www.ustream.tv/recorded/2719328
YouTubeへのアップロードもできたんですが、音声がズレますね。音声のほうが数秒早い。ちょっと使えない感じです。
パソコンとビデオカメラをつないでネット生中継、いろいろとトラブルがあると聞いていたのですが、このUstramは簡単です。
説明では、お勧めカメラとかパソコンとはUSB接続みたいな絵が出てましたが、今回はsonyのミニDVビデオカメラの超古いやつを使い、パソコンとの接続はIEEE1394でやってみました。
何回かの試行錯誤の上やっとできましたが、まあ、簡単なほうだと思います。
下記URLで私の声によるナレーションで、簡単にではありますが使い方を説明しています。良かったら見てみてください。
http://www.ustream.tv/recorded/2719328
YouTubeへのアップロードもできたんですが、音声がズレますね。音声のほうが数秒早い。ちょっと使えない感じです。
2009年12月05日
共同通信社が仕分けにひとこと
「国立女性教育会館」(ヌエック)の予算削減の文字にくいつき!
ここで、毎年開かれている女性のためのイベントには参加したことがあるので。
とっても不便な場所にあって、イベントが数日にわたるので宿泊が必要なのだけど
周囲に宿はなく、ヌエックに泊まるしかない。
私は当時、隣駅に住む知人がいたので、そこに泊めてもらえたけど…。
それにしても、どうして、あんな不便な場所に作ったのかというのもあるし どうして、せっかく作ったもので「必要なもの」まで削減対象になるのか理解に苦しむ。
大阪のドーンセンター(大阪府立女性センター=第三者機関が運営)の場合は橋本知事に予算削減されちゃったけどね…
私らがビデオの仕事していて、メンバーの一人がそこで講師をやっていた。
その人がやめた後も、その人が育てた人たちによって講師はいた。
いなければ、ビデオ施設を使える人はいない。
もう、何年も前から、ビデオ施設はスタジオも含めて最初から使い方が分かる人
にしか使えない状況で、プロ仕様ではないので、プロは使わない
中途半端にプロっぽいので素人には使えないという状態だった。
ほとんど貸し部屋収入しかなかったのでは?
それも、女性のためのものは割引価格なので
関係ないほうに貸したほうが儲かるわけで…。
私の周囲ではDV(ドメスティックバイオレンス)で困っている女性の話もちらほらある。
女性センターの役割はまだあるのに…。自民党政権時代に、男女共同参画センターと名前を変えたので看板変えるのにお金かかってます。しかも、この名前になってから、女性のための講座などが激減し、ただの公民館と化しているところも。
マシな方の講座でも、全4回くらいの母子家庭の母親向けのワード講座などやってるのを見かけますが、それで就職できますか?
ああ、愚痴愚痴言いたくないのだけど。やっぱり民間ががんばるしかないのかしら???
以下最後につけたリンク先からのコピペです。
本文に出てくる「東大大学院情報学環教授」って、どこで切って読むの???
事業仕分けの背景検証を 共同通信「報道と読者」委員会
共同通信社は5日、外部識者による第三者機関「報道と読者」委員会の第42回会議を東京・東新橋の本社で開き、3人の委員が「鳩山新政権の3カ月」と「新政権とメディア」をテーマに議論した。
行政刷新会議の事業仕分けをめぐる報道について、東大大学院情報学環教授の姜尚中氏は「解せないのは仕分け人の人選だ。鳩山由紀夫首相のイニシアチブなのかどうか、一般の読者には分からない」として、背景の検証が必要と強調した。
同志社大経済学部教授の橘木俊詔氏は「民間の仕分け人は何の権限があって事業の廃止とか削減を言う資格があるのか。新聞やテレビを見て率直に思った」と疑問を呈し、仕分け人に焦点を当てた報道を求めた。弁護士の小町谷育子氏は「大幅予算削減」と判定された独立行政法人「国立女性教育会館」などの現状を伝えた記事を取り上げ「一つ一つをサンプル的に報道すると実相が分かる」と評価した。
新政権とメディアをめぐり、小町谷氏は鳩山政権が打ち出した「官僚の記者会見原則禁止」に言及。「政治主導と『官僚は話してはいけない』ということが結び付く、という民主党の感覚に違和感を覚えた。(問題視する)報道で会見が復活しているのは良かった」と指摘した。
2009/12/05 19:44 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009120501000622.html
ここで、毎年開かれている女性のためのイベントには参加したことがあるので。
とっても不便な場所にあって、イベントが数日にわたるので宿泊が必要なのだけど
周囲に宿はなく、ヌエックに泊まるしかない。
私は当時、隣駅に住む知人がいたので、そこに泊めてもらえたけど…。
それにしても、どうして、あんな不便な場所に作ったのかというのもあるし どうして、せっかく作ったもので「必要なもの」まで削減対象になるのか理解に苦しむ。
大阪のドーンセンター(大阪府立女性センター=第三者機関が運営)の場合は橋本知事に予算削減されちゃったけどね…
私らがビデオの仕事していて、メンバーの一人がそこで講師をやっていた。
その人がやめた後も、その人が育てた人たちによって講師はいた。
いなければ、ビデオ施設を使える人はいない。
もう、何年も前から、ビデオ施設はスタジオも含めて最初から使い方が分かる人
にしか使えない状況で、プロ仕様ではないので、プロは使わない
中途半端にプロっぽいので素人には使えないという状態だった。
ほとんど貸し部屋収入しかなかったのでは?
それも、女性のためのものは割引価格なので
関係ないほうに貸したほうが儲かるわけで…。
私の周囲ではDV(ドメスティックバイオレンス)で困っている女性の話もちらほらある。
女性センターの役割はまだあるのに…。自民党政権時代に、男女共同参画センターと名前を変えたので看板変えるのにお金かかってます。しかも、この名前になってから、女性のための講座などが激減し、ただの公民館と化しているところも。
マシな方の講座でも、全4回くらいの母子家庭の母親向けのワード講座などやってるのを見かけますが、それで就職できますか?
ああ、愚痴愚痴言いたくないのだけど。やっぱり民間ががんばるしかないのかしら???
以下最後につけたリンク先からのコピペです。
本文に出てくる「東大大学院情報学環教授」って、どこで切って読むの???
事業仕分けの背景検証を 共同通信「報道と読者」委員会
共同通信社は5日、外部識者による第三者機関「報道と読者」委員会の第42回会議を東京・東新橋の本社で開き、3人の委員が「鳩山新政権の3カ月」と「新政権とメディア」をテーマに議論した。
行政刷新会議の事業仕分けをめぐる報道について、東大大学院情報学環教授の姜尚中氏は「解せないのは仕分け人の人選だ。鳩山由紀夫首相のイニシアチブなのかどうか、一般の読者には分からない」として、背景の検証が必要と強調した。
同志社大経済学部教授の橘木俊詔氏は「民間の仕分け人は何の権限があって事業の廃止とか削減を言う資格があるのか。新聞やテレビを見て率直に思った」と疑問を呈し、仕分け人に焦点を当てた報道を求めた。弁護士の小町谷育子氏は「大幅予算削減」と判定された独立行政法人「国立女性教育会館」などの現状を伝えた記事を取り上げ「一つ一つをサンプル的に報道すると実相が分かる」と評価した。
新政権とメディアをめぐり、小町谷氏は鳩山政権が打ち出した「官僚の記者会見原則禁止」に言及。「政治主導と『官僚は話してはいけない』ということが結び付く、という民主党の感覚に違和感を覚えた。(問題視する)報道で会見が復活しているのは良かった」と指摘した。
2009/12/05 19:44 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009120501000622.html
2009年12月04日
若者は面白い
東京は高田馬場にあるというMediR。名前は聞いていたけどサイトを見たのは初めて。
「メディア」という言葉が入っている通り、ビデオ講座をやっていたりする場所のようだけれども、今日は、サイト内をうろうろしていて、過去にインターネット中継されたものを見た。
3本のうちまだ1本しか見ていないがとっても面白い!
パネラーらしき男女がいて、聞き手がいるらしい。20〜30歳代とのこと。もっと男性が多いのかと思っていたが、ほとんどが女性。
また、東京の人ではない語り口の人も多く、それも意外だった。もちろん良い意味で。
http://www.stickam.jp/profile/medir
↑上記URLに飛んでいただくと
右側に画面が出ます。ブラウザによっては下にスクロールすると
画面の下に「menu」があるのでそれをクリック。
すると動画のリストが出ます。それをクリックすると再生が始まります。
私が見たのは「1/3働くって?」です。
本当にざっくばらんに本音トークしている感じ、互いの話をきちんと聞こうとする姿勢、情報や体験を共有していこうとする若者の姿を見て、みんな現在、大変な状況にある人たちなのだけど、ちょっと自分まで若返ったような気分になった。
「労働組合ってこわい」という人がいて、どうしてこわいと思うのか、労働組合に入ってみてどうだったか、などなど。
やはり、一昔もふた昔も前の「労働争議!」「シュプレヒコール!」とかいうのは「ひく」らしい(笑)
でも、結局は、そういうことをやることになるらしい(笑)
やってみると、意外と楽しいらしい。
労働運動の入り口は楽しく。入ってからも助け合って楽しくというのがいいのかなーと思いました。
1本目が38分あったので、あと2本は、いつ見ようかなーという感じですが、見ます。これは「見なくちゃ」という感じではなく、ほんとに「楽しみ」です。見ていて楽しいんです。
楽しい→元気が出る→がんばれる
やっぱり人間はこれですよね。
「メディア」という言葉が入っている通り、ビデオ講座をやっていたりする場所のようだけれども、今日は、サイト内をうろうろしていて、過去にインターネット中継されたものを見た。
3本のうちまだ1本しか見ていないがとっても面白い!
パネラーらしき男女がいて、聞き手がいるらしい。20〜30歳代とのこと。もっと男性が多いのかと思っていたが、ほとんどが女性。
また、東京の人ではない語り口の人も多く、それも意外だった。もちろん良い意味で。
http://www.stickam.jp/profile/medir
↑上記URLに飛んでいただくと
右側に画面が出ます。ブラウザによっては下にスクロールすると
画面の下に「menu」があるのでそれをクリック。
すると動画のリストが出ます。それをクリックすると再生が始まります。
私が見たのは「1/3働くって?」です。
本当にざっくばらんに本音トークしている感じ、互いの話をきちんと聞こうとする姿勢、情報や体験を共有していこうとする若者の姿を見て、みんな現在、大変な状況にある人たちなのだけど、ちょっと自分まで若返ったような気分になった。
「労働組合ってこわい」という人がいて、どうしてこわいと思うのか、労働組合に入ってみてどうだったか、などなど。
やはり、一昔もふた昔も前の「労働争議!」「シュプレヒコール!」とかいうのは「ひく」らしい(笑)
でも、結局は、そういうことをやることになるらしい(笑)
やってみると、意外と楽しいらしい。
労働運動の入り口は楽しく。入ってからも助け合って楽しくというのがいいのかなーと思いました。
1本目が38分あったので、あと2本は、いつ見ようかなーという感じですが、見ます。これは「見なくちゃ」という感じではなく、ほんとに「楽しみ」です。見ていて楽しいんです。
楽しい→元気が出る→がんばれる
やっぱり人間はこれですよね。




