2013年02月09日

「AKB48丸刈り謝罪」を問う

以下の意見に同感だったので転載させていただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
WEBRONZA
AKB48丸刈り謝罪、ブラック企業論からの検証を
和光大学教授、ジャーナリスト 竹信三恵子

 AKB48の峰岸みなみさんの丸刈り謝罪に、AKBよ、お前もか、という思いにとらわれている。この事件についてはさまざまな疑問の声も上がっているが、特に気になるのは、今回の事件に、日本のブラック企業文化の影が色濃く感じられことだ。
 「ブラック企業」は、社員に過剰な労働を強いたり無理なノルマを課したりして、うつなどの深刻な健康障害や、過労死を引き起こすとして問題化している。今回の丸刈り謝罪は、これらの企業を生む文化的土壌と、次の3点で共通している。
 まず、働き手が、仕事のためとして、自傷行為にまで及んでいることだ。ブラック企業についての相談では、社員への罰として社長が社員の髪を切ったり、ノルマを達成できないなら死んでわびろとどなったりするなど、仕事の失敗を社員が体の損傷であがなうことを当然視する例がしばしば見受けられる。今回の丸刈り謝罪でも、「仕事の責任をとるために体を傷つけてもしかたない」という主張が映像を通じて大々的に流され、AKB側もこれを阻止しなかった。
しかも、そうした自傷行為が、「商品だからしかたない」と受け手から「評価」される異様な事態も生まれている。たとえば、朝日新聞2月2日付記事では、この事件にからんで、「事務所にとってアイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要」として正当化する広報コンサルタントの談話が紹介されている。ここには、体を傷つけずに働ける職場環境を目指す安全衛生の思想や、「労働は商品ではない」という国際労働機関(ILO)の人権の基本はかけらも見えない。
次の共通点は、「組織が命令したわけでなはなく、当人が勝手に決めたこと」として、組織の責任が不問に付されていることだ。2月1日付朝日新聞朝刊「働く」の欄では、2006年、27歳で亡くなったシステムエンジニア、西垣和哉さんの事例を取り上げている。この業界では、人件費節減の中、一人が休むと周囲の仕事が過重になってみなが連鎖的に倒れる「デスマーチ(死の行進)」が頻発し、西垣さんはこれを心配して休めず働き続けたという。熊沢誠・甲南大名誉教授は、このような日本企業の労務管理を「強制された自発性」と呼ぶ。過労死するような働き方を働き手が自発的に行うよう強制することだ。
AKBでは昨年、異性との交際が発覚したメンバーが九州に「左遷」されたとして話題になったが、こうしたみせしめ人事が横行する中で、丸刈りにでもならなければ追い出されるという「強制された自発性」が働いた可能性は否定できない。だが、そうした組織の無言の圧力は「責任感の強いメンバーの自己責任」の言説に、隠されてしまっている。
最後の共通点は、20歳にもなった女性に「恋愛禁止」を言い渡す子ども扱いや、そうした個人の私生活への強い介入の中身の妥当性は問われることないまま、「事前に約束したはず」として、絶対服従を求めていく組織のあり方だ。
ブラック企業では、寝袋を職場に持参させ、仕事が終わるまで返さないといった私生活への極端な介入・管理がしばしば起きている。そんな職場に疲れ果て、退職したいと言うと「正社員として無期雇用で働くと約束したはず」として、やめさせない例が聞かれる。契約の妥当性は問わず「約束したんだから」の一点張りで服従を強いて行く手法だ。「約束したはず」によって公序良俗にもとるような管理が横行するブラック企業の内部に通じる。
ブラック企業は、一部の特異な業界の現象ではない。働き手の暮らしより会社を優先し、「自発的な貢献」を強要する日本企業の労務管理の特質が、市場環境の過酷化や経営者・管理者の力不足の下で極端な形をとって噴き出したものだ。今回の丸刈り謝罪事件は、こうしたブラック企業文化が、エンターテイメント業界という職場で、いびつな花を咲かせたといえそうだ。これを単なるアイドル論としてはやしている限り、目的達成のためには人間の体を傷つけても(ときには死んでも)かまわないという体罰肯定文化と、そうした文化的土壌を背景にしたブラック企業的な働かせ方から脱却することは難しい。その意味で、今回の事件について、ブラック企業文化論からの再検証と論議を期待したい。

タグ:AKB48
posted by wrapiy at 10:56| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月11日

大変!クレオ大阪5館が廃止?


イダヒロユキさんのブログhttp://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/2994/より


 大阪市が4月5日、市政改革プランの試案を公表しました。
その中で、たとえば、

男女共同参画センターの「全館廃止」!!
男女共同参画センター」(削減4億5千万円)市内5館を廃止。相談事業など一部業務は区役所に移管。

施策・事業の見直し(試案)
1 見直しの考え方
・女性問題等に関する相談への対応や情報提供等は、地域により身近な場所で行うことが効果的である
・また、実施内容についても、男女共同参画に寄与する事業に重点化し、効率化を図る

2 見直し内容
・5館とも廃止する
・現在、館で実施している事業については、相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続することとし、区役所・区民センター等で実施する
・セミナー・イベントの開催については、実施内容が男女共同参画に寄与するものとは認められないため、 廃止する
3 実施時期
・平成26年度(指定管理期間終了後)

4 留意事項
・大阪府の類似施設との役割分担が必要であり、府市統合本部で議論【B項目事業】
・廃止した5館を普通財産とし、売却・賃貸を図る


posted by wrapiy at 00:32| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月06日

100歳以上の高齢者の所在不明


 100歳以上の高齢者の所在が、子どもや親族にも分からなくっていることが明らかになった時、東京だけの事情だと思っていた。
 今のところ、大阪府が日本一所在不明の高齢者が多い。行政も家族に拒否されたら、高齢者に面会できない。法的根拠というか、家族が何と言おうと強制的に行政の人間が面会したりするためのものがないと言う。
 気になるのは、「大家族制度」のもとでは、そんなことはなかったというメディアで発言する人がいることだ。
 それは、いつの時代の話だろうか? 私(53歳)は、祖母、両親、姉との3世代同居だった。私の生まれる前は、独身の叔父や父方の家族(4人)などが合計10人前後同居していたらしい。しかし、私が10代のころ祖母が寝たきりになったときに介護していたのは、事実上、母と父だけだった。
 私が大学生だった30年以上前に、日本人の高齢化がかなり進んでいたころ。高齢者の問題として「同居の孤独」という言葉がでていた。
 もっと昔に遡ると、「姥捨て山」。
 一人住まいだろうが、誰かと同じ屋根の下にいようが、最後まで自立した人間らしい生活できることがいいのではないか。
 何か、家事も育児も看護も介護もケアは受け手側のみの人たち。「昔はよかった」と言い続ける人たちの論点はずれてる。
posted by 中川京子 at 20:14| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。